9号9尺

2007年7月6日
今週から始まった、仕事上の大一番・・・
険しい山登りでしたが、ようやく、9号9尺。

あと一息で終わりです。

ここまで来るのには時間がかかりすぎた。

ハッキリ言って当日もうまくいくかはよく分かりません。
でも、やらないと行けないのでやるけど・・・

会社のみなさん、余り期待しないでください。

本来、プレッシャーには非常に弱い性格なのです。

準備だけはいつも完璧。
でも、本番でどうなるか・・・
やれるだけのことはやります。

でも、昔中田ヒデがいってた。

試合で特別なことをしようと思わない
練習でできないことは試合ではできないから・・・

おっしゃるとおりです。

余り気張らず、やろうと思いました。

★それにしても、九州地方はまた、雨でえらい被害にあっている。でも、今年は犠牲者は多分出ていないはず。

何故だろう?そこを少し考えてみた。

去年は鹿児島県とか熊本とかでとんでもない被害がでた。
自分もテレビで見ていて、結構ビックリした。

今年の雨と、去年の雨
量は違うんだろうけど・・
犠牲者が出ていない今年。去年とは何が違うのだろう?

恐らく大きな要因のひとつは『人々が学んでいる』ことだと思う。

人間は過去に起きた災害や事件・事故を教訓に
対策を強化し、そのあと起きるであろう同種の災害に備える
事ができる生き物。

『二度と同じ悲劇を繰り返さない為に』を合い言葉に
何が行けなかったのか?じゃあ、どうすればいい?
という問いを繰り返し、最善の形を作ろうとする。

そして、完成した、施設・設備・マニュアルなどは
次に同種の被害が起きないようにできていて
仮に起きたとしても、被害を最小限に押さえることができる。

そうなれば、マスコミにも『あの悲劇の教訓が生かされた』
などとはやし立てられる。

でも、よく考えてみよう。本当にそうなのか?
今回も、恐らく前年の被害が生きた結果、ハザードマップが活躍したり、行政が対応を変えたり、地域の自主防犯組織が各地で組織され、一定の効果を発揮したりという努力の賜が形となって
現れた。

でも、本当にそれでいいのか?
そこに至るまでには、沢山の犠牲があったはず。
今を生きる私たちは、その犠牲によって得た教訓によって生かされているということになるが、その犠牲が出なくて済むような
事前の対策は考えられなかったのだろうか?

・例えば、3年前山形県で起きた列車脱線事故・・
原因はハッキリしないけれども、風によるものが原因であるならば、その前に風による転覆事故は起きていた。なぜそのときに対処しない?事故現場はもともと風の強い場所で危険はあったのだそうだ。
 何故、事故が起きたあとに対策を行おうとする?

今回の雨に関してもそう。
鹿児島の列車が脱線した部分に関しても、今後は斜面を補強するなどの対策が講じられるはず。
当然、事故が起きたあと。

要するに対応は確かにしっかりしている。
過去の犠牲の教訓を生かしているのは素晴らしいと思う。
でも、何故毎回、事が起きたあとなのだろうか?

・定期点検で異常はなかった・・・
・若干徴候はあったが、緊急性を要するモノではなかった

などといわれるが、その段階で、シグナルは聞こえていたはず
なぜ対処しない?

自然災害とひとくくりにされることが多いこの手のもの
でも、蓋を開けてみると、必ずしもそうでないことがあることに気づく。

要するに、中には人災も含まれているということ。

しっかりと、現状を認識し、対策を講じていれば
死なずに済んだ命もあったはず。

『人間は考える葦である』

だったら、今後は一歩先を読んでいこうよ。

じゃないと、同じ被害を2度繰り返してしまう。

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