人の価値
2008年1月24日どうやって決まるのだろうか?
これを数字で表すことは非常に難しい。というか
不可能に近い。
プロ野球では選手の価値は、年俸という数字ではじき出される。
でも、あくまでも、これは、プロ野球選手としての価値。
人間としての価値とは大きく異なる。
『被告人を懲役15年に処す』
殺人事件でこのような判決が出たとする。
よく言われるのは、『殺された人の命の価値は15年ですか』
これも、違うのかもしれない。
被告人の罪の重さに対する勘定。
人の価値って言うのは簡単にははかれない。
人間関係はある意味、『ギブアンドテイク』で成り立っている
というのが私の考え・・・
人は誰かを助ける。でも、それは無償の援助ではなく
その相手からも、自分が何かを得ているからするのではないか?
走でない場合でも、借りと貸しの関係はある。
海でおぼれて、助けてもらった場合、助けられた方は助けてもらった人間に対して、お礼をする。
これによって、双方の『貸し=借り』の構図は消滅する。
通常の生活でもそう。仕事上では、
例えばテレビの場合、企業から番組のスポンサーに付いてもらった場合、テレビ局はCMを流すことでその対価に見合うことをする。
恋愛でもそう。
お互いに癒しを求める。
ただ、これらの場合・・・
どちらか、一方通行に成った場合は関係は崩れる。
はかないものだ・・・
こういう時におもう、究極の仕事はキャバクラで働くお姉さま方
彼女たちは、店にやってくる殿方に、つかの間の癒しや楽しさを与える。
その対価として、彼女たちには指名の数などに沿った売り上げという名の報酬を得る。
ある意味、彼女たちはプロ・・というか
ギブアンドテイクで成立する人間関係を忠実に実行し、それを武器にしている。
自分の時間を削り、身を粉にし、お客様には精一杯のサービスをする。それで、報酬を得ていく・・・
彼女たちは自分たちの価値がわかっているのではないか?
その報酬、してもらったことに見合う、それ以上の価値を見いだす為に、何が必要なのか?
そう言う点をみてると、ある意味、勉強に成る部分はある。
彼女たちは、自分たちの価値を決めるモノに対しては絶対に
手抜きをしない。そのプロ根性には頭が下がる・・・
ただ、これはあくまでも、ビジネスの世界。
一般の生活では通用しないかもしれない。
自分は尽くされている・・・
何かをされることを当然と思っている人間はいないか?
そこまで、自分は価値がある人間か?
そこを判断できない人間がおおいようだ。
これまで生きてきた中で、そう言う人間を何人か見てきた・・
最後は哀れだ。
周りの人間ははじめから距離をおいて付き合っていて
あるきっかけを機に一気に去っていく。
そうなるとひとりぼっち・・・
になると思うでしょ?
違うんです。
こういう人間にはどんどん周りから人が寄ってくる。
だから、自分の落ち度に気づかない。
世の中うまくいくもんなんだ。
でも、よく見てみると、少しずつ変わっている点に気が付く
寄ってくる人間のレベルが明らかに下がってくる・・・
最終的にはどんどん自分自身の価値を下げている生き方・・・
周りを振り回していくと結局こうなる。
今まで周りに居た人間は離れ、離れたあとは
彼らが敵になっている。
そんな人間の、最悪な末路を過去に見てしまった私にとって
こういう生き方は絶対にしたくない。
すこしでも、生きる価値のある人間でいたいものだ。
これを数字で表すことは非常に難しい。というか
不可能に近い。
プロ野球では選手の価値は、年俸という数字ではじき出される。
でも、あくまでも、これは、プロ野球選手としての価値。
人間としての価値とは大きく異なる。
『被告人を懲役15年に処す』
殺人事件でこのような判決が出たとする。
よく言われるのは、『殺された人の命の価値は15年ですか』
これも、違うのかもしれない。
被告人の罪の重さに対する勘定。
人の価値って言うのは簡単にははかれない。
人間関係はある意味、『ギブアンドテイク』で成り立っている
というのが私の考え・・・
人は誰かを助ける。でも、それは無償の援助ではなく
その相手からも、自分が何かを得ているからするのではないか?
走でない場合でも、借りと貸しの関係はある。
海でおぼれて、助けてもらった場合、助けられた方は助けてもらった人間に対して、お礼をする。
これによって、双方の『貸し=借り』の構図は消滅する。
通常の生活でもそう。仕事上では、
例えばテレビの場合、企業から番組のスポンサーに付いてもらった場合、テレビ局はCMを流すことでその対価に見合うことをする。
恋愛でもそう。
お互いに癒しを求める。
ただ、これらの場合・・・
どちらか、一方通行に成った場合は関係は崩れる。
はかないものだ・・・
こういう時におもう、究極の仕事はキャバクラで働くお姉さま方
彼女たちは、店にやってくる殿方に、つかの間の癒しや楽しさを与える。
その対価として、彼女たちには指名の数などに沿った売り上げという名の報酬を得る。
ある意味、彼女たちはプロ・・というか
ギブアンドテイクで成立する人間関係を忠実に実行し、それを武器にしている。
自分の時間を削り、身を粉にし、お客様には精一杯のサービスをする。それで、報酬を得ていく・・・
彼女たちは自分たちの価値がわかっているのではないか?
その報酬、してもらったことに見合う、それ以上の価値を見いだす為に、何が必要なのか?
そう言う点をみてると、ある意味、勉強に成る部分はある。
彼女たちは、自分たちの価値を決めるモノに対しては絶対に
手抜きをしない。そのプロ根性には頭が下がる・・・
ただ、これはあくまでも、ビジネスの世界。
一般の生活では通用しないかもしれない。
自分は尽くされている・・・
何かをされることを当然と思っている人間はいないか?
そこまで、自分は価値がある人間か?
そこを判断できない人間がおおいようだ。
これまで生きてきた中で、そう言う人間を何人か見てきた・・
最後は哀れだ。
周りの人間ははじめから距離をおいて付き合っていて
あるきっかけを機に一気に去っていく。
そうなるとひとりぼっち・・・
になると思うでしょ?
違うんです。
こういう人間にはどんどん周りから人が寄ってくる。
だから、自分の落ち度に気づかない。
世の中うまくいくもんなんだ。
でも、よく見てみると、少しずつ変わっている点に気が付く
寄ってくる人間のレベルが明らかに下がってくる・・・
最終的にはどんどん自分自身の価値を下げている生き方・・・
周りを振り回していくと結局こうなる。
今まで周りに居た人間は離れ、離れたあとは
彼らが敵になっている。
そんな人間の、最悪な末路を過去に見てしまった私にとって
こういう生き方は絶対にしたくない。
すこしでも、生きる価値のある人間でいたいものだ。
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